美輪明宏(丸山明宏)の若い頃の壮絶な生きざまに密着!三島由紀夫とは恋仲だったの?

今回は美輪明宏若い頃に関する話題をお届けします。

美輪明宏は実は三島由紀夫と恋仲だった?!

という情報が入ってきておりますので、今回のテーマはコレにしときますわ。

ーーー【今回のテーマ】ーーー

美輪明宏若い頃三島由紀夫との関係について

ーーーーーー

世間の関心事は以下の内容の様です。

★★★『世間の関心について』★★★

美輪明宏の若い頃はイケメンだったの?!

壮絶な生きざまを知りたい!

三島由紀夫との関係はどうだったの?!

美輪明宏はゲイなの?!ニューハーフなの?!

この記事で分かる事

・美輪明宏の若い頃の生きざま

・若い頃イケメンだったかどうか

・三島由紀夫との関係

・美輪明宏の恋愛観・ジェンダー観

美輪明宏の生い立ちについて

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✅まずは、美輪明宏の生い立ちや若い頃のエピソードにクローズアップしてみます。一体どんな幼少期を過ごしてきたのでしょうか?

◆裕福な家庭に生まれる

さっそく、美輪明宏のプロフィールから確認していきましょう。

美輪明宏のプロフィール

名前;美輪明宏

本名:丸山明宏

生年月日:1935年5月15日

出身地:長崎県長崎市

学歴:国立音楽大学附属高校中退

美輪明宏は1935年5月15日、長崎県長崎市のうまれです。

2021年10月現在、86歳になっています。

本名は丸山明宏といい、父・丸山作一と母・ヌメとの間に5人兄弟の次男として誕生しました。

実家は『世界』という名のカフェ・料亭を経営していて、経済的には裕福でした。

『世界』は長崎市内の遊郭街『丸山遊郭』の近くにありました。

しかし、美輪明宏が6歳になった1941年12月に戦争の影響でカフェ『世界』は閉店せざるをえなくなってしまいます

閉店理由は「敵性文化を商売にすることは時局にそぐわぬ」というもの。

とても厳しい時代ですね…カフェ営業ですら咎められるなんて、今では考えられません。

お父様も苦渋の決断だったのではないでしょうか。

◆一家離散

カフェ『世界』閉店後、美輪明宏と家族をさらなる悲劇が襲います。

原爆の営業で、父・作一の貸付先が次々と倒産・他界

美輪一家は返済に困り、裕福だった家庭は一気に困窮しました。

父には後妻もいましたが、彼女も失踪してしまい、幼い異母弟とともに悲惨な日々を送ることになってしまいます。

美輪明宏といえば、やはり達観した人生観。

その根底には幼少期のつらい経験が関係していたのですね。

◆芸能界への憧れ

美輪明宏一家をどん底に突き落とした戦争も、終戦します。

そして美輪明宏は当時自身が鑑賞していた加賀美一郎のボーイソプラノに影響を受けて、声楽・ピアノを習い始めました

これが芸能界への憧れのきっかけだったそうです。

美輪明宏は海星中学に通っていたのですが、同期には西岡武夫がいたそうです。

ボーイソプラノがこんなに長い歴史を持っていたなんて、知りませんでした。

当時は男性がソプラノを歌うということに、まだ抵抗があった時代ではないでしょうか。

そういった世間の目を気にせず、自身の道を進む美輪明宏の純粋さには感服します。

◆上京・父との絶縁

1951年の春・15歳になった美輪明宏は、国立音楽高等学校(現在は国立音楽大学附属高等学校)に進学します。

進学理由は、コンサート歌手になるため。

しかし、その当時帰省した際に、生活苦に陥った親戚に対して父親が見捨てるような態度をとっていたため、大喧嘩してしまいます。

結果的に父親からは絶縁を言い渡されました。

当然仕送りもなく、自身の夢にも幼い身一つで向き合わなくてはならなくなります。

高校生で親と絶縁って、とてつもない孤独感だったと思います。

それでも自分の夢に向かって歩んでいけるのは、美輪明宏に並々ならぬ情熱があったからでしょう。

◆芸能界デビュー

父親に絶縁を言い渡された美輪明宏は、東京で自活するために音楽学校を中退します。

そして生活費を稼ぐために進駐軍のキャンプ廻りをし、歌を披露するようになりました。

新宿駅で寝泊まりをしていたこともあったといいますが、それでも当時ギャラは一応もらっていたそうです。

その後17歳になると、ゲイバーやバーテンダーなどのアルバイトを始めます。

1990年まで銀座7丁目にあったシャンソン喫茶『銀巴里』では、歌手として専属契約を交わします。

当時美輪明宏は『国籍・年齢・性別不詳』として売り出されていました。

ミステリアスな設定なので、気になって興味を持つ人は多数いたことでしょうね。

以下の文化人から支持を得ていたそうです。

三島由紀夫

吉行淳之介

野坂昭如

大江健三郎

中原淳一

遠藤周作

寺山修司

なかにし礼

金を無心する父から兄弟の生活を守るため、美輪明宏は自身の青春時代をアルバイト生活に費やしました。

そんな中、進駐軍キャンプで歌を披露してギャラをもらえるほど評価されていたことは本人にとってかけがえのない経験だったのではないでしょうか。

◆シャンソン歌手としてデビュー

その後1957年に、シャンソン『メケ・メケ』を日本語でカバーします。

このことで美輪明宏の知名度は一気に上がりました。

当時の美輪明宏の衣装は小姓衣装に洋装を取り入れた斬新なもの。

レース地のワイシャツを身に纏い、その当時ではまだ珍しかったユニセックスファッションを披露していました。

マスメディアからは『シスターボーイ』『神武依頼の美少年』と、なんとも高い評価を得ていたようです。

同年には、増村保造監督の映画『暖流』に歌手として出演します。

今は貫禄がある美輪明宏ですが、当時はめちゃくちゃ美少年だったようですね。

ここまでとんとん拍子で高評価を得るなんて、自分でも驚いたのではないでしょうか。

◆挫折と不遇

『メケ・メケ』で一躍時の人となった美輪明宏ですが、その後1年ほどでブームは去ってしまいます。

というのも、当時美輪明宏は週刊誌で同性愛を告白したり、従来のシャンソンのイメージを害すような内容の歌詞を歌っていたため、人気が急落していたようです。

挫折を味わった美輪明宏は、作詞作曲活動を開始させます。

そのときの楽曲は聴衆からも歌謡界からも理解されず、レコード化すらされていません。

美輪明宏はその当時吐血症などの原爆症に悩まされていたそうですが、そのときのことを振り返って「人様の情けに生かされた」とコメントしています。

今やシャンソン歌手といえば「美輪明宏」という印象ですが、決して順風満帆ではなかったのですね。

◆再ブレイク

そんな中、1963年に中村八大らの助けにより、日本初となる全作品自らの作品によるリサイタルを開催し、翌1964年には『ヨイトマケの唄』をステージで披露しました。

1965年に同楽曲がレコード化されたことでまたしても注目が集まり、再ブレイクを果たします。

『ヨイトマケの唄』は紅白でも披露されましたよね。

当時の人々の苦労を子供目線で歌った、とても衝撃的な内容です。

こういう曲を聴くと「世の中、知らないといけないことはたくさんあるんだなぁ」という気持ちになります。とても貴重な一曲だと思います。

◆俳優・丸山明宏として活動

1967年には、寺山修司の演劇実験室・劇団天井桟敷の旗揚げ公演で『青森県のせむし男』『毛皮のマリー』に出演します。

これらの作品は、寺山修司が美輪明宏のために書き下ろした舞台作品です。

翌1968年には自叙伝『紫の履歴書』を発表。

それ以外にも、以下の作品に出演したり、番組を持つようになります。

♦舞台・ドラマ・映画
『黒蜥蜴』
『椿姫』
『マタ・ハリ』
『双頭の鷲』
『黒薔薇の館』
『雪之丞変化』

♦ラジオ番組
TBSラジオ『ラジオ身の上相談』

特に、ラジオ番組は25年という長期にわたり続いていました。

芸能人が担当する人生相談番組としては、異例の長さだったそうです。

◆美輪明宏として活躍

更に、1971年には読経中の明宏の頭の中に『美輪』の文字が浮かびます。

神から与えられた名前だと思い、姓名判断を調べるとなんと非の打ち所のない画数でした。

そのため芸名を『丸山明宏』から『美輪明宏』に変更。

女性役を演じなくなることを決意し『女優引退宣言』を行い、歌手としての活動に専念し始めます。

全国各地でリサイタルを開催し、映画『日本人のへそ』やドラマ『さくらの唄』に出演するなど男性役としての才能を開花させていきました。

しかし、当時の美輪明宏は幼少期からの偏った食生活による慢性気管支炎に悩まされていました。

通院時医師からは「3か月の命かもしれない」なんて言われていたそう…

美輪明宏にも、かなり大変な時期があったんですね。

◆歌手

歌手としては、以下のような活動をしてきました。

1984年 パリでリサイタル

1986年~ PARCO劇場でロングリサイタル

1987年 パリ、マドリード、シュトゥットガルトでリサイタル

1990年 銀巴里閉店の際の『さよならコンサート』

♦雑誌・新聞への出演

『ル・モンド』

『リベラシオン」

など

♦演出

1990年 東京芸術劇場のこけら落とし公演 『マリー・ローランサン』

『黒蜥蜴』の再演企画も持ち上がっていたようですが、美輪明宏の体調不良から実現されずに終わりました。

しかし、この歌手活動開始時から「四回目のブーム」となり、テレビやCMへの出演は一気に増えます。

第一回目のブームからだいぶ年月が経過していますが、それでも夢を諦めなかった美輪明宏はカッコイイですね。

そして、やはり改名が良い結果を招いたのでしょう。

◆声優としても活動

再ブームを果たした美輪明宏は、声優としても活動することになります。

あの伝説のジブリ作品『もののけ姫』では、山犬神・モロの君を演じました。

「黙れ小僧!」というあの一言は特に印象的でしたよね。

また、PARCO劇場で行われていたロングリサイタルは1998年から『音楽会』と改名され、毎年行われるようになります。

それ以降美輪明宏といえば「春先の芝居、秋の音楽会」というイメージが定着。

2000年には唯一のライブ活動場所であった渋谷ジァン・ジァンが閉館となり、ラストライブを行いました。

エディット・ピアフの生涯を描いた舞台『エディットピアフ物語愛の讃歌』を上演し、アルバム『白呪』も発売。

桑田佳祐がテレビ番組で『ヨイトマケの唄』を歌ったこともありましたね。

2004年には『ハウルの動く城』で「荒れ地の魔女」役を担当。

美輪明宏の穏やかでありながらどこか冷酷さを感じる声は、ジブリ作品にマッチしていると思います。

もともと歌い手に憧れていた美輪明宏ですが、実はこんなにマルチな人物だったんですね。

美輪明宏の若い頃のイケメン画像

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✅性別を超えた魅力と独特の喋り方で人気の美輪明宏ですが、実は若い頃はかなりイケメンだったようです。

今でこそ奇抜な印象ですが、若い頃の画像を調べるとめちゃくちゃイケメンだったことが判明しました。

こちらが、若かりし頃の美輪明宏です。

今人気のハーフ顔ですね!

現在は金髪に紫の衣装というド派手ないでたちですが、たしかに目鼻立ちがはっきりしていて顔立ちは整っています。

ここからは、そんな生粋のイケメン・美輪明宏の容姿に関する話題触れていこうと思います。

ハーフ説について

✅さきほどの画像を見ても分かるとおり、美輪明宏は鼻が高く、日本人離れした顔立ちですね。そのためハーフという噂があります。実際はどうなのでしょうか?

結論から言うと、美輪明宏はハーフではありません

堀の深い顔をしている美輪明宏ですが、長崎県出身で両親ともに日本人です。

そのため、純粋な日本人ということになります。

ただ、ご両親ともに美男美女だったようでその遺伝子を受け継いだため、かなりのイケメンとしてこの世に生を受けたのでしょう。

若い頃の画像は、まるでお人形さんのようですね。

少年漫画『ジョジョ』のキャラ

✅若い頃あまりに美少年すぎた美輪明宏ですが、ある人気漫画のキャラクターに似ているといわれています。

美輪明宏は、『ジョジョの奇妙な冒険』シリーズに出てきたキャラクター・東方仗助に似ているようです。

『ジョジョ』シリーズといえば、週刊少年ジャンプで連載する人気作品ですね。

独特の絵と世界観が魅力的で、なんとシリーズ累計発行部数は1億円を超えています。

一番左が東方仗助ですが、たしかに若い頃の美輪明宏そっくりですね。

『ジョジョ』シリーズにはほかにも、アーティストで作家の大槻ケンヂにそっくりな『音石明』というキャラクターもいます。

そのため、著名人をモデルにしたキャラクターが存在するのはファンの間では結構有名なようですね。

東方仗助もやはり、若い頃の美輪明宏を意識して作られたキャラクターなのかもしれません。

美輪明宏の若い頃の恋愛について

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✅さて、なかなか壮絶な生きざまを送ってきた美輪明宏ですが、若い頃の恋愛についても注目が集まっています。

なんと美輪明宏には、三島由紀夫と恋仲だったという噂があるのです。

これは本当なのでしょうか?

美輪明宏の恋愛観に迫ってみましょう。

三島由紀夫との関係

✅さっそく、美輪明宏と三島由紀夫の関係を紐解いていきます。

美輪明宏は1951年、音楽学校に通いながらウェイトレスのアルバイトをしていました。

そのお店は1階が喫茶店で、2階が女性キャストのいるクラブ。

お店にはゲイであることを隠した官公庁など著名人が集まり、公には『ゲイバー』としての営業ではなかったものの「知る人ぞ知るお店」という感じだったそうです。

一階でウェイトレスとして働いていた美輪明宏も、二階のクラブへ呼び出されることがあったそうです。

そして、二階で三島由紀夫と出会いました

これだけでなお二人の関係を確証付けるのは難しいですが、そういった界隈では有名なお店のようですし、少なくとも三島由紀夫がゲイに対する偏見のない人で、美輪明宏の性別を超えた魅力に魅了されたことは間違いなさそうですね。

三島由紀夫のバックアップ

✅そして、三島由紀夫は美輪明宏の後押しを始めます。

お二人の交友関係は10年以上となり、当時三島由紀夫は美輪明宏のことを「天上の美」というキャッチフレーズで大々的に売り出しました。

レコードデビュー時にも、間接的なサポートをするなど、二人の絆はとても強固なものとなっていたようです。

三島由紀夫は美輪明宏に対して、このうえない魅力を感じたのでしょう。

美輪明宏と三島由紀夫の本当の関係性

✅三島由紀夫の美輪明宏に対するこのうえない賛辞を受けて、お二人の間には恋人とか愛人という噂がささやかれています。これは実際のところどうなのでしょうか?

結論から言うと、この噂はデマのようです。

美輪明宏自身が、三島由紀夫とは恋愛関係になることはなかったと公言していました。

そもそも美輪明宏は三島由紀夫を尊敬していて、そのうえ「尊敬している人物には恋愛感情を抱かない」という性質を持っていたそうです。

お二人は恋仲とか愛人とか俗物的な関係ではなく、性別を超えてリスペクトし合える同志のような存在だったのでしょうね。

美輪明宏のような、容姿だけでなく人間として魅力的な人物は、性別や国境・年齢を超えて様々な人から支持されていることでしょう。

美輪明宏の恋愛対象は男性?女性?

✅美輪明宏の恋愛観についてお話ししていますが、そもそも美輪明宏の恋愛対象は男性なのでしょうか?女性なのでしょうか?

結論から言うと、美輪明宏は自身が同性愛者であることを公言しています。

つまり、恋愛対象は男性ということですね。

◆女装は芸風ではなく、ガチのニューハーフ?

美輪明宏といえば、やはりその独特の風貌ですよね。

一部では「ニューハーフなのか?」といわれていますが、現段階で美輪明宏がニューハーフという情報は確認できません。

2007年11月21日に放送された『明石家さんちゃんねる』で、美輪明宏は明石家さんまと自身の恋愛観・ジェンダー観について語っています。

明石家さんまは、美輪明宏の装いを見て「女になろうとして生きてこられたわけでしょ?」と質問しました。

それに対して美輪明宏は、こう語っています。

「女になろうと思ったことなど一度もありませんよ!言ったこともない!あんなもの、誰がなろうと思うもんですか!!」

美輪明宏いわく、女性は無神経でふてぶてしく、繊細さのかけらもないそうです。

そのため、自身のユニセックス的な装いも女性を意識したわけではなく、ただ自分が「美しい」と思ったものを身に纏っているのでしょう。

また、美輪明宏は若い頃かなりの美形だったため、言い寄ってくる女性は一定数いたと思われます。

そこで女性のマイナスな部分を見せつけられ、女性蔑視のような思考が刷り込まれてしまったのかもしれません。

現代ではジェンダーレスやセクシュアルマイノリティへの注目が集まっていますが、美輪明宏はそれらの枠をも超越した存在に感じますね。

もう性別や見た目で相手を判断するという考え方は、美輪明宏の脳内には存在しないのだと思います。

俳優・赤木圭一郎との関係性

✅美輪明宏は、三島由紀夫以外にも俳優の赤木圭一郎と恋愛関係にあることを噂されました。

実は美輪明宏、過去に赤木圭一郎と愛し合っていたことを公言しています。

赤木圭一郎といえば、石原裕次郎や小林旭に次ぐ「第三の男」と呼ばれる色男ですね。

映画の撮影中不慮の事故で帰らぬ人となってしまいましたが、当時は葬儀にも参列せず、恋愛関係にあったことを隠していました。

しかし、赤木圭一郎が亡くなった7年後に、恋仲であったことを告白しています。

赤木圭一郎のことを「トニー」と呼んでいたそうです。

当時は同性愛がまだタブー視されていましたから、告白も相当勇気が必要だったでしょう。

というか、、赤木圭一郎のことを配慮して告白のタイミングを見計らう美輪明宏の気遣いは素晴らしいですね。

美輪明宏の若い頃に世間の声は?


✅では、若い頃の美輪明宏について世間の皆さんはどう思っているのでしょうか?Twitterの声を確認します。

多くの人が、「美輪明宏の若い頃すごく美しかった!」とツイートしていました。

また、今回お話ししたように大倉忠義に似ているという人や、三島由紀夫との友情が素敵だというファンの方もいます。

半世紀以上も活動を続けて、今もな多くのひとに慕われている美輪明宏。

そのカリスマ性は唯一無二といえるでしょう。

まとめ


今回は、美輪明宏の若い頃についてお話ししました。

要点をまとめます。

美輪明宏の若い頃 まとめ

☆美輪明宏は若い頃、父親との絶縁や貧困など壮絶な生きざまを送ってきた
☆幾度の挫折を味わい、再ブレイクを果たした
☆若い頃はとてもイケメンだった
☆三島由紀夫とは恋仲ではなく、リスペクトし合う関係

今でこそ奇抜な装いの美輪明宏ですが、若い頃は端正な容姿でとても美しかったですね。

父親と絶縁し、自立するために高校を中退して弟たちのために働くなんて、なんて健気なんだろうと思います。

今後もそのカリスマ性を活かして、バリバリ活躍してほしいです。

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